平野啓一郎『本心』

現在の行方に警鐘を鳴らす未来

SF小説は、単純に未来を描いているように見えて、実際は、未来を通して現在を本題にしている。実際の未来を書こう、と思っても、子言者でない限り、不可能だからだ。未来を制作する作家は、結局、現在の傾向や条件から想像を膨らませるしかなく、出来上がった空想の世界には、必然的にスタート地点が色濃く含まれている。そういう意味では、SFに於いて「未来が現在の鏡」と言える。現在との緊がりを忘れさせようとして、楽しい未来への逃避を促す作品もあれば、それを敢えて強調して、社会を間接的に批判する作品もある。

平野啓一郎さんの最新長編小説「本心』は後者の一例と言える。

舞台は2040年の日本で、主人公、石川期也が5歳。東日本大震災が発生した2011年からの3年間の社会的変化を、まるで人生を以て体現しているようだ。期也の母親が平野さん自身と同世代で、ロスト・ジェネレーションの一人だということから、その時間の意味がわかる。期也は、ロスジェネのシングルマザーの子として、バブル崩壊から現在まで段々厳しくなった経済状況がさらに厳しくなっていった延長線上にある。

それが「リアル・アバター」という、期也の生業にも現れている。依頼者の音声に従って、希望の場所へ訪れ、行動を行い、ヘッドセットを通して、追体験を提供する仕事だ。寝たきりの患者に故郷の光景を届けるなど、客の心を支える側面もあるが、雇用条件がいかにも不安定。客を紹介する会社に所属している訳ではなく、個人事業主として登録され、依頼者が与える評価によって報いが増減し、3点を切ると契約解除の可能性もある。失われた3年で終身雇用に取って代わった、非正規、派遣、フリーターなどの終焉、ギグ・エコノミーの行き過ぎが鮮明に描かれている。

社会全体も格差拡大により、富裕層の生きる「あっちの世界」と、多くの国民が陥っている貧困層「こっちの世界」と呼ばれる二つの階級に分断されている。夏の盛りを熱中症になりそうな位、無理に歩かされても、依頼者の要望に決して抗えない期也。人の目を盗んで、レストランの食べ残しを子供に食べさせる親。一方で、なんの谷めもなく高校生を援助したり、壊滅的な台風が来る度に海外へバケーションに行ったりするお金持ち。

そんな世界で繰り広げられるストーリーは、期也の母親の死後半年に始まる。母親は生前、合法化されている「自由死」をしたいと期也に告白していた。2019年9月~昨年7月の新聞連載中は「安楽死」という言葉が使われていたが、制限のない死ということで平野さんが単行本化の際に変えたと言う。

母親は、なぜ死にたいかと期也が間うと「もう十分」と答える。この言葉は色々な場面で繰り返され、多義的な意味合いを帯びるようになる。ただ、最初に言い出すのは、こっちの世界、つまり「不十分」が多いはずの世界に住む人物、という皮肉を見過ごしてはならない。

結局、母はドローン墜落事故で亡くなってしまうが、期也は、自由死を決断した本心を探るため、母親のヴァーチャル版を発注する。母に関連するデータのインプットなどでAIを学習させると、ヘッドセット越しに会話できる母親らしき存在が再現される。

「親族のシミュレーションは、ネットフリックスで見られるイギリスの番組「ブラック・ミラー」のいくつかのエピソードに似ていると思われるだろうが、平野さんは、『ドーン』(2009年)という近未来長編小説に於いて、主人公の亡き息子・太陽のAR再現で、既に取り扱ったコンセプトだ。著者は、物心がまだついていなかった子供の頃に父親が急逝し、家族の話を通してしか知らないとエッセイなどで語る。亡くなった人物のアイデンティティーを採る、推理小説の要素は、『空白を満たしなさい』や拙訳が出ている『ある男」などでも見られる。

「明るいはずだった世界が失敗に至り弾圧的な体制が出来てしまった、いかにも暗い社会を描くのは、ディストビア(迎ユートピア)小説だ。『本心」をこう分類すれば、ジョージ・オールウェルの「1984」やカズオ・イシグロの『わたしを離さないで」などと並べることができる。高齢者が権力を握る未来の日本を描いた、村上龍さんの『歌うクジラ』や、すべての行為に使用料が課せられる東京を舞台にした、拙著『Cash Crash Jubilee』とも比較しやすい。

『本心』がこれらと異なるのは、心が柔らかい光に包まれるように感じさせるしっとりした文体。内容がどんなに絶望に満ちていたとしても、内面描写が読者に希望を与えるのは、平野啓一郎文学の特徴だ。

後半に存在感を増す脇役も格差社会を垣間見させる。前財務大臣の暗殺計画に巻き込まれる岸谷。日本育ちなのに自然な日本語が身につかなかったミャンマー人二世のティリ。昔、期也の母親を愛人とした作家の藤原。そして、期也と三角関係になる二人、あっちの世界を「壊しちゃったら、夢も希望もなくなる」と諦念を貫く、被災者の元セックスワーカー・三好彩花と、「お金は、気持ちの表現ですよ!」と唱える、下半身麻痺のアバター・デザイナー、イフィー。

話が進むに連れ、登場人物の本心と建前の境目がばやけ、題名のアイロニーが明確になる。再現したのは本当に母親の本心を採るためだったかも、期也の本心だったかどうかさえ疑わしくなってくる。曖昧極まりない心の探偵ごっこの中で、死とは何か、自由死の権利は認められるべきか、格差社会とどう取り組むべきか、といった問いかけも、ドストエフスキーを思わせる構成で披露される。それらが、会話と語り手を通じて、賛否の観点から弁証法的に議論され、結論らしき概念「最愛の他者性」へと向かってゆく。

2021年の日本が直面している深刻な政治的問題について深く考えさせ、その行方に警鐘を鳴らす、必読の文芸的思考実験だ。

「すばる」2021年8月号

Eli K.P. WilliamEli K.P. William is the author of The Jubilee Cycle trilogy (Skyhorse Publishing), a science fiction trilogy set in a dystopian future Tokyo. He also translates Japanese literature, including the bestselling novel A Man (Crossing) by Keiichiro Hirano. His translations, essays, and short stories have appeared in such publications as GrantaThe Southern ReviewMonkey, and The Malahat Review.

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